多田屋3代目・喜教 -鍋島令嬢との恋-

時は大正末から昭和初期のお話です。
多田喜教(故人、後に多喜館主人=現在の多田屋)はその頃東京にある鍋島家別邸の自動車運転手をしながら、夜間大学に通っていました。


自動車で鍋島藩藩主・直虎を貴族会館に送り迎えをしながら、その合間で長女・鍋島家令嬢好子を学習院大学まで送迎する日々。いつしか好子さんとの間には恋が芽生え始めたのでした。


だが二人の身分は違いすぎました、大名家のお姫様と一方は一介の貧乏書生。鍋島家の方が認めるはずもなく、強引に二人を引き離そうとしました。しかし、それでも二人の想いは強く、昭和二、三年ごろ駆け落ちをして、和倉温泉多喜館で一緒に働くようになり、子供も四人恵まれて、鍋島家も二人の結婚を認めてくれるようになったのでした。
好子さんは不慮の事故により昭和13年にお亡くなりになりましたが、当時の鍋島家から頂いたプレゼントも多田屋に飾られており、当時の文化を今も多くのお客様に感じて頂いております。

 

大同年間(806~810年)に薬師嶽の西、円山の湯の谷に温泉が湧出したのが和倉温泉の始まりです。

その後地殻変動により、沖合い60メートルの海中に涌き口が移動したと伝えられています。

それから時代を経た永承年間(1046~1053年)、和倉に暮らしていた漁師夫婦が湯気立つ海で白鷺が身を癒しているのを見て、 『湯の涌き井づる浦』 涌浦(わくら)が発見されました。


良質な温泉と美味しい食材が手に入る環境もあって、半農半漁の家が7軒しかなかった頃より、年間100万人を数える浴客で賑わう温泉街になりました。


もともとの地名 『涌浦』 も今の 『和倉』 に改名され、沢山の方に守り育てられております。